;日数

0.0101n0 -4712.0101 N0 Im1 N0|Fq*100=n0 Im2 N0|Fq*100=m3
M2m70 9mi70 0#EndCr %PI 0m0 1583m10
M1-M10=n0 Z>_M1*365.25=In1 G2_
:L1 M10*365.25=I - 10=n1
[M10/4]I-[M10/100]I+[M10/400]I=n2 M1m0 MD0 ;前の年まで
N1+N0*365+[M0/4]I-[M0/100]I+[M0/400]I-N2=n1
:L2 M2- 1=*30=n0 C25 N1+N0+M3- 1=m11
M11+1721059=m13
M11+6=n0-[N0/7]I*7=m12 Z>=_7+M12=m12_ M12- 7= Z<_7md12_
M1+57=n0-[N0/60]I*60=n0 Z>=_60+N0=n0_ N0*10000=m14
M1*12+M2+13=n0-[N0/60]I*60=n0 Z>=_60+N0=n0_ N0*100=mi14
M11+9=n0-[N0/60]I*60=n0 Z>=_60+N0=n0_ N0>mi14 M11 Z<=_MI11_ G90

:L25 GM70 :L21 :L20 NI0 :L19 :L18 NI0 :L17 NI0 :L16 :L15 NI0 :L14 :L13 NI0
:L12 2nd0 1583zM1<_G11_ [M1/4]Fq Z=_NI0_ [M1/100]Fq Z=_ND0_ [M1/400]Fq Z=_NI0_
:L11 NI0 :L10 R
:L90 :: 1P3*M 11P4*M E :E

100の倍数(400の倍数以外)の年には閏日はない
1583年>西暦 ⇒ ユリウス暦、 1583年≦西暦 ⇒ グレゴリオ暦 として計算。

N0=年.月日 [月,日は2桁 (0を省略できない)]
M1,M2,M3=年,月,日
M11=通日
M12=曜日 [ 1(日)〜7(土) ]
M13=ユリウス日 (世界時)
M14=年干支 月干支 日干支 (日本時) [ 1(甲子)〜60(癸亥) ]

0年1月1日(第1日) 金曜日(6) JD=1721059 干支 57(庚申) 14(丁丑) 9(壬申)


 明治1年 = 慶応 4年 = 1868年
 大正1年 = 明治45年 = 1912年
 昭和1年 = 大正15年 = 1926年
 平成1年 = 昭和64年 = 1989年
 令和1年 = 平成31年 = 2019年


  1 甲子  11 甲戌  21 甲申  31 甲午  41 甲辰  51 甲寅
  2 乙丑  12 乙亥  22 乙酉  32 乙未  42 乙巳  52 乙卯
  3 丙寅  13 丙子  23 丙戌  33 丙申  43 丙午  53 丙辰
  4 丁卯  14 丁丑  24 丁亥  34 丁酉  44 丁未  54 丁巳
  5 戊辰  15 戊寅  25 戊子  35 戊戌  45 戊申  55 戊午
  6 己巳  16 己卯  26 己丑  36 己亥  46 己酉  56 己未
  7 庚午  17 庚辰  27 庚寅  37 庚子  47 庚戌  57 庚申
  8 辛未  18 辛巳  28 辛卯  38 辛丑  48 辛亥  58 辛酉
  9 壬申  19 壬午  29 壬辰  39 壬寅  49 壬子  59 壬戌
 10 癸酉  20 癸未  30 癸巳  40 癸卯  50 癸丑  60 癸亥



"グレゴリオ暦"   http://ja.wikipedia.org/
『フリー百科事典 ウィキペディア』 更新 2007年12月8日(土)22:30 (世界時)   ( 一部引用要約 )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6


グレゴリオ暦導入年月日
1582年10月15日 - イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド
1582年12月20日 - フランス 後に中断(フランス共和暦)
1583年1月1日  - ベルギー、オランダの一部地域
1583年から1587年まで - ドイツ、スイス、ハンガリーのカトリック諸都市
1700年3月1日  - ドイツのプロテスタント諸都市、デンマーク
1752年9月14日 - イギリス
1753年3月1日  - スウェーデン
1873年(明治6年) 1月1日 - 日本
1896年(建陽元年)1月1日 - 朝鮮
1912年(民国1年) 1月1日 - 中国(中華民国が建国とともに採用、同年2月12日の清朝滅亡とともに国内全域で正式な暦となる)

教皇グレゴリウス13世  シルレト枢機卿を中心とする委員会を発足させて、暦法の研究を始めさせた。
メンバー  天文学者アロイシウス・リリウスや、数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれた。
1582年2月24日に発布され、同年10月4日(木)の翌日を10月15日(金)とすることを定めた。



NiTiSuU

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